山川異域 風月同天
新型コロナウィルスはまだまだ収まる気配はないが、日本から中国に支援した物資に書いてあった言葉が、中国でたいへん話題になっているようだ。
「山川異域 風月同天」という言葉であり、意味は「別の場所に暮らしていても、自然の風物はつながっている」とのこと。
この言葉は、約1300年前に、大和朝廷の長屋王が中国・唐代の高僧、鑑真和上宛に送った1000着の袈裟の一部に刺繍された言葉であり、ぜひとも日本に来て仏教を教えていただきたいと願ったとのこと。
これに感動した鑑真和上は、日本に行くことを決心した。しかし、5度の渡航を試みるも失敗し、ついには失明してしまう。それでも諦めずに、6度目にして成功して、日本の地にたどり着き、仏教を広めるきっかけとなったようだ。
これに関して思い出すのが、ちょうど1年半前に国立新美術館にて開催された、「生誕110年 東山魁夷展」である。東山魁夷氏は、1971年に唐招提寺から鑑真和上の像を安置する御影堂障壁画を製作するように依頼され、熟考の末、それを引き受けた。展示会には、その後10年に渡って製作した数々の壁画が飾ってあった。
解説によれば、東山魁夷氏は壁画を受諾後、数千枚に及ぶ下絵を描き構想を練ったとのこと。そして、設置場のレイアウトはよく計画されており、鑑真和上の御厨子を取り囲むように、出身地である揚州、渡航の間に滞在した桂林、そして中国を代表する黄山の絵が描かれている。これ以外にも、失明のためかなわなかったが、鑑真和上が見たかったであろう日本の海や山の数々の風景画が描かれていた。
考えてみると、鑑真和上は艱難辛苦の末、6年の歳月を経て来日した。また時代は違えども日本を代表する東山魁夷氏が10年の歳月をかけて鑑真和上の像を安置する御影堂障壁画を製作している。まさに歴史は繋がっていると思わずにはいられない。
知性あふれる先達、そして8文字かもしれないが、時空を超える漢字の力強さを改めて知った次第である。